恋をしていないと自分の価値がなくなったようで不安、という人の中にも、さらにふたつのタイプがあります。
「誰でもいいから自分を求めてくれている恋人がいれば、それでとりあえずは安心」と言う人
トップ写真赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

「ランクの高い男」か「だれでもいい」か

本表紙 香山リカ=著=

ピンクバラ「ランクの高い男」か「だれでもいい」か

恋をしていないと自分の価値がなくなったようで不安、という人の中にも、さらにふたつのタイプがあります。
「誰でもいいから自分を求めてくれている恋人がいれば、それでとりあえずは安心」と言う人、
「つきあう恋人のレベルによって自分の価値も変わるから、なるべくランクの高い男性を恋人にしたい」と言う人です。
 より病理性が高いのは、実は前者のほうです。

 後者のタイプ、「付き合う男のレベルで自分が決まる」と考える女性は、以前から一定の割合でいたと思います。
 バブル経済期によく言われた、“三高狙い(高学歴、高収入、高身長)”の女性なども、これにあたります。

 この人たちが考えている“レベル”というのはおおむね表面的な条件であって、“精神的な三高”を求めている女性の話などは聞いたこともありません。
 もちろん、収入や地位の高い男性とつきあったり結婚したりしたからといって、女性の価値が本当に上がるわけではないのですが、それでも「私ってあんな凄い男性の彼女なのよ」と自分まで立派になったような錯覚を抱き、そのまま一生を過ごせたら、それはそれで幸せなことだと思います。
 
 よく女性同士の集まりで「彼が今度、こんな仕事をして」「夫が海外に出張に行ったときに」とパートナーの自慢しかしない人がいます。
 中には自分が働いているかのように、夫の会社の話をしながら「まったくあの部下は使えないから」などという言い方をする女性もいます。

 それでその人が「私ってあのグループの中ではランクが高い」と無邪気に思い込んで良い気分でいられるなら、まわりの友だちは迷惑でしょうが、本人とっては悪いことではありません。
また、世の中には「自分の経済力や社会的地位に満足してくれる妻を持つことで満足する」という性質を持った男性もいるのです。

それを「妻に対するかぎりない愛」と考えているのですが、やや意地悪を解釈すれば、おそらく彼らの自己愛は、母親に代表される女性がにっこり喜んでくれることでしか満たされないのだとも考えられます。

私がかつてクリニックでかかわった人の中にも、夫のお金を使い放題で海外旅行に出かけたりブランド物を買い漁(あさ)ったりしていた若い専業主婦がいました。
家庭の内情まではわかりませんが、話を聞いてみる限りでは、家事もそれほどやっていないようです。

私は「もし自分が彼女の夫なら、オレが苦労して稼いだ金をどんどん使うな! と言ってしまいそう」などとつい考えてみたりもしました。
 しかし、その後、機会があって外来でその夫に会ったとき、私の考えが浅はかだったかが、よくわかりました。
 夫は、「自分はわがままな妻に贅沢をさせてあげることができる」と思うことで、自分の価値を確認し、満足していたのです。ある意味で、彼らは“持ちつ持たれつ”の夫婦と言えるでしょう。

もちろん、そういう女性たちがいつか「私自身にはなんの中身もない!」とはっと気がついてしまったらたいへんなことになります。
実際に、そういう悩みを抱えて相談に来た人もいました。

 彼女の恋人は、かなり世間に名を知られた作家でした。結婚の話も出ており、彼はパーティや取材旅行にも積極的に連れて行ってくれます。そのたびに周囲の人たちは「先生の婚約者」ということで大切に扱ってくれ、ちょっとした“セレブ気分”を味わっていました。

ところがある日、町中で彼の担当編集者と出くわしたので、「こんにちは」と挨拶すると相手は「え?」という顔をしたのです。「〇〇です」と自分の苗字を名乗っても、「あ、ああ」とまだ気づかない様子。
 もちろんそこまで彼の名前を出せば、すぐに相手は思い出してくれたはずですが、その気も無くなり、「失礼いたしました」と彼女はその場を去りました。

そしてそれから、「彼がいるからこそ私もちやほやしてもらえるわけで、私個人には何の価値もないんだ」とむなしさが襲ってきたと言うのです。
その後、彼女は彼と別れて自分で仕事を始めました。

しかし、こういうケースはごくわずかで、実際には“セレブ気分”を満喫しているうちに、趣味やボランティア活動などを通してそれなりに“中身”も詰まってきて、そのうち自分自身が認められる場合も増えていくものなのでしょう。

それが正しいことかどうか別にして、「自分の地位や収入で恋人や妻を満足させることが満足」と思う男性が今でも実際にいて、それを求める女性もいるならば、それはそれで合理的な組み合わせではないか、と私は思うのです。

より問題なのは、「誰でもいいから私を求めてくれる人がいなければ、自分の価値が見えなくなる」と言うタイプです。

この「誰でもいい」は、結局のところ「誰でもダメ」ということなので、「この人じゃなかった」「この人でもない」と何処にもいない相手を求めてさ迷い歩くことにもなりかねません。

 またこういう人は、通り一遍の男や世間の人たちが評価する男ではダメなのではないか、と思い込み、途中から周りが「やめたほうがいい」と言うような相手ばっかりつきあうようになったりもします。
 それについてはまた次の章で説明しますが、たとえば暴力を振る男性や年下で経済力のまったくない男性などにハマってしまうのです。

ピンクバラ選ばれてこその私

恋をしていない不安、という気持ち特殊な方向に暴走するのが、いわゆる「追っかけ」です。私は基本的には、男性と女性には生物学的な差以外にはさほど大きな違いはない、あとは後天的なに刷り込められた文化的な違いにすぎない、と言う立場を取っているのですが、この「追っかけ」と呼ばれる行動に関してだけは男女で違いがあるのでは、と思っています。

全部が全部とは言いませんが、男性の場合はたとえばアイドルを追いかけていても、それは単純にそのアイドルの顔や歌が好きだからであり、心のどこかでは「話してみたいな」「握手できたら」とは思っていますが、それはあくまでも空想の範囲。


 握手会などに殺到するファンたちも、「うわ―、両手で握手してもらったよ!」というだけで感激するはずです。
 ストカーに見られるような病的な思い込みをしない限り、自分は何万人もいる彼女のファンのひとりだということを頭のどこかにいつも知っており、実際に接近できるかどうかにはあまり関係なく、彼女が好きだからです。

 ところが女性の“追っかけ”の場合、相手が世界中の人に愛される雲の上の存在であっても遠い外国に住んでいても、目的はあくまでも「恋人になること」「結婚すること」。


 勿論それは難しそうだと分かっていても、空想の中では何度もそのシミュレーションをしているはずです。
 それはたとえその相手が、ベッカムやヨン様であってもです。ライバルが一千万人いるとか、自分のほうが年齢が二十も上とか、そういうことは女性の心の中では関係ありません。


 追っかけ女性は対象と、すぐに、“ふたりの世界”を作ることができるのです。それは想像とはいえ、彼女の中ではかぎりなくリアルです。
 
 先日、ある下着メーカーが募集した俳句の優秀作が発表され、その中に「冬ソナを勝負下着で見る母親」というのがありましたが、これは女性の“追っかけ”心理の本質を突いているのではないでしょうか。


 おそらく女性たちは、あこがれのスターに「君のような女性をさがしていたんだ」と選ばれることによって、自分の価値が究極の形で肯定されると思っているのです。


 そして、「そんなこと、あるわけないじゃない」と言いながらも、心の中では「ヨン様が来日してロケをしている場を、私が見学に行く。そしてヨン様の視線が私に釘付けになり・・‥」という想像を、かなり現実的なものとして繰り返し行っていのではないでしょうか。


 彼女たちは「ヨン様が好き」なのではなくて、「ヨン様が好きになってくれるはずの私が好き」だと言ってもよいでしょう。彼女たちもまた、架空とはいえ恋愛で自分の特別な価値や意味を確認しようとしているのです。

 現実の恋愛とほとんど変わらないリアリティを感じながら“追っかけ”をする女性たちは、しばしばだれかを追い続けているうちに実際の恋愛や結婚を忘れ、独身のまま一生を送ったりもします。

 逆に、現実の中で恋人ができたり結婚したりすると、あんなに好きだったスターのことが一瞬にしてどうでもよくなったりすることもあります。
 男性の場合は、自分の結婚とは関係なく秘かにそのアイドルを応援し続けるというケースが少なくないのですが、女性は「ああ、あんな人、もうどうでもいいのよ」と手の平を返すように冷めてしまうのです。

 その理由はこれまで説明からも明らかなように、追っかけ女性たちは自分ではそう自覚していなくても、そのスターやスポーツ選手のことを純粋に評価しているのではなく、あくまでも自分の“恋人候補”として好きだからです。

 リアルな恋人ができてしまえば、彼が“候補”としての魅力を失ってしまうのは当然です。

 このように、女性たちは実際の自分に能力や経済力などがあるかどうかにかかわらず、恋愛を通して自分の価値を確認したいと思う傾向が、男性に比べてより強いと言えます。


 だから、「恋人がいない」というだけでいくら仕事ができてもステキな女ともだちがたくさんいても、「私ってダメだ」と必要以上に自分を低く見積もってしまったり、逆に社会的地位が高い恋人ができると自分までセレブになったような気持に簡単になれたりもするわけです。

 これはいったい、どうしてなのでしょう。社会学者たちは、「女性は男の人に選ばれてこそ」といった古い価値観がまだ世の中に残っており、それが「自立していても恋人がいなければダメ女なんだ」といったプレッシャーを女性たちに与えているのではないか、と分析しています。


 私もある程度はそれに同意しますが、問題はそういった“社会的刷り込み”を越えた所にあるような気もします。
 つづく 彼がいるのに満たされない t