恋をしていない不安、という気持ち特殊な方向に暴走するのが、いわゆる「追っかけ」です。私は基本的には、男性と女性には生物学的な差以外にはさほど大きな違いはない、あとは後天的なに刷り込められた文化的な違いにすぎない、と言う立場を取っているのですが、この「追っかけ」と呼ばれる行動に関してだけは男女で違いがあるのでは、と思っています。
全部が全部とは言いませんが、男性の場合はたとえばアイドルを追いかけていても、それは単純にそのアイドルの顔や歌が好きだからであり、心のどこかでは「話してみたいな」「握手できたら」とは思っていますが、それはあくまでも空想の範囲。
握手会などに殺到するファンたちも、「うわ―、両手で握手してもらったよ!」というだけで感激するはずです。
ストカーに見られるような病的な思い込みをしない限り、自分は何万人もいる彼女のファンのひとりだということを頭のどこかにいつも知っており、実際に接近できるかどうかにはあまり関係なく、彼女が好きだからです。
ところが女性の“追っかけ”の場合、相手が世界中の人に愛される雲の上の存在であっても遠い外国に住んでいても、目的はあくまでも「恋人になること」「結婚すること」。
勿論それは難しそうだと分かっていても、空想の中では何度もそのシミュレーションをしているはずです。
それはたとえその相手が、ベッカムやヨン様であってもです。ライバルが一千万人いるとか、自分のほうが年齢が二十も上とか、そういうことは女性の心の中では関係ありません。
追っかけ女性は対象と、すぐに、“ふたりの世界”を作ることができるのです。それは想像とはいえ、彼女の中ではかぎりなくリアルです。
先日、ある下着メーカーが募集した俳句の優秀作が発表され、その中に「冬ソナを勝負下着で見る母親」というのがありましたが、これは女性の“追っかけ”心理の本質を突いているのではないでしょうか。
おそらく女性たちは、あこがれのスターに「君のような女性をさがしていたんだ」と選ばれることによって、自分の価値が究極の形で肯定されると思っているのです。
そして、「そんなこと、あるわけないじゃない」と言いながらも、心の中では「ヨン様が来日してロケをしている場を、私が見学に行く。そしてヨン様の視線が私に釘付けになり・・‥」という想像を、かなり現実的なものとして繰り返し行っていのではないでしょうか。
彼女たちは「ヨン様が好き」なのではなくて、「ヨン様が好きになってくれるはずの私が好き」だと言ってもよいでしょう。彼女たちもまた、架空とはいえ恋愛で自分の特別な価値や意味を確認しようとしているのです。
現実の恋愛とほとんど変わらないリアリティを感じながら“追っかけ”をする女性たちは、しばしばだれかを追い続けているうちに実際の恋愛や結婚を忘れ、独身のまま一生を送ったりもします。
逆に、現実の中で恋人ができたり結婚したりすると、あんなに好きだったスターのことが一瞬にしてどうでもよくなったりすることもあります。
男性の場合は、自分の結婚とは関係なく秘かにそのアイドルを応援し続けるというケースが少なくないのですが、女性は「ああ、あんな人、もうどうでもいいのよ」と手の平を返すように冷めてしまうのです。
その理由はこれまで説明からも明らかなように、追っかけ女性たちは自分ではそう自覚していなくても、そのスターやスポーツ選手のことを純粋に評価しているのではなく、あくまでも自分の“恋人候補”として好きだからです。
リアルな恋人ができてしまえば、彼が“候補”としての魅力を失ってしまうのは当然です。
このように、女性たちは実際の自分に能力や経済力などがあるかどうかにかかわらず、恋愛を通して自分の価値を確認したいと思う傾向が、男性に比べてより強いと言えます。
だから、「恋人がいない」というだけでいくら仕事ができてもステキな女ともだちがたくさんいても、「私ってダメだ」と必要以上に自分を低く見積もってしまったり、逆に社会的地位が高い恋人ができると自分までセレブになったような気持に簡単になれたりもするわけです。
これはいったい、どうしてなのでしょう。社会学者たちは、「女性は男の人に選ばれてこそ」といった古い価値観がまだ世の中に残っており、それが「自立していても恋人がいなければダメ女なんだ」といったプレッシャーを女性たちに与えているのではないか、と分析しています。
私もある程度はそれに同意しますが、問題はそういった“社会的刷り込み”を越えた所にあるような気もします。
つづく 彼がいるのに満たされない t